わすれもの
子供の言葉はとてもきれいだと思う。
今日、3歳の従姉の子と病院の敷地内にある彩々に染まった紅葉した樹々に囲まれた庭の中で遊んだ。
紅葉を見て、「夕焼けの葉っぱだ!」と形容していていた。
なんてきれいな言葉を紡ぐのだろうと感心した。
それから、ひと時が過ぎ
「きれいなもの見たからママに教えてあげるの。」
庭に敷き詰められた落ち葉の絨毯の上で葉を一葉手に取りそう呟いた。
確かに、私もとても綺麗だと感じ、気持ちが良かったがその心持を大切なひとに伝えようという思いは浮かびあがらなかった。
私の人生、まだ短い時間ではあるが大切なものを忘れてしまったと感じた。
それを「擦れた」と言うならばそうなのかもしれない。
子供は情報を享受し伝達し成長していく。
しかし、現代社会は情報、通信のインフラの過度の成長により情報過多、伝達は過度の合理化が進んでいる。
子供はありとあらゆる情報を嫌でも受け取らなければなくなっていて、その反面、伝達は過度に合理化し、そこに「なにかたいせつなもの」が削られてしまっている。
それを、「進化」と呼べば片付くのかもしれないがさもしい気持がする。
その点、情報、通信のインフラの整備が進んでいないアフリカの人々はとても日本人の私からすると非合理だがどこか暖かい。
トラブルは人と人とが面と向かい話し合い。愛情も言葉と体で精一杯表現しあう。
日本人が忘れてしまったものを彼らは持っている。
彼らを知ることで削られた何かを埋めることができるかもしれない。
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